「土佐日記」を読んで
実は、高知のお土産で「土左日記」という美味しいお菓子を頂きました。
その箱がまた昔の本をひもとくような凝ったデザインだったのです。
本当の表記はどうやら「土佐日記」ではなく、お菓子の箱にあったように「土左日記」だったようです。
何か惹かれるものがあり、早速、本を購入しました。
この短くも素晴らしい日記を初めて読んでみて、しみじみと人の心というもの、承平4年(934年)という時代、昔も今も変わらぬ人々の気持ちなどに深く感じ入りました。
紀貫之は土佐の国で幼い愛娘を亡くしていたのですね…。
初めて知りました。
わざわざ、女性が書いた日記風にして客観的な表現で悲しみを癒し、都に帰還する未来への希望を託していたのでしょうか。
また、当時、土佐から京の都に帰る船旅の大変だったことなどがよくわかるように記されています。
和歌もたくさん詠まれていて、それなりに格調高く、かと思えば他人が詠んだ和歌を「くだらない」と痛烈に批評したり、子供が読んだ和歌に亡くした娘の姿を重ねたのか、とても感激したり…。
紀貫之は優秀な人物でありながら、不遇の人生を送った人のようでもあるのですが、このような素晴らしい文学を残したのですから、充実の一生だったのではないでしょうか。
「土佐日記」はもちろん日記であり、紀行文であり、和歌集であり、歴史資料であり、と短い中にたくさんのことが詰まっています。
こういうものは学校の授業や受験教材として一部分のみを勉強したり暗記したりしますが、もっと広く親しく読まれても良いものだと思いました。